岐阜物理サークル(のらねこ学会)


広大な海へ

 ・・・・・辺りには強いアルコールの匂い。「サァ,いくゾ!」ガスバーナーが点火され,炎めがけてアルコールが吹きかけられる。ボァ〜〜と2mもの火炎。「ウォー,すげえ!」と歓声をあげる生徒たち・・・・。
 これは『のらねこの挑戦−高校物理教師たちの型破り授業−』と題するNHKプライム10(1992年11月26日放映)のオープニングです。その夜布団をかぶってテレビを見ようとしなかった生徒がいました。小酒井君。ヘッドライトで見事に光通信をやった本人ですが,きっと番組の中の自分の姿を想像したのでしょう。今時の子にしては珍しい純な姿ですが,それ以上に驚くのは,どこにでもいる普通の高校生の彼が〈懐中電灯通信〉にのめりこんでいく過程です。何が彼をつき動かすのでしょうか。そして将来実験屋になりたいとかなわぬロマンまで抱かせる"意味ある他者"としての実験とは何なのでしょうか。
 番組は『ガラスの上のレンガ割り』『皿まわし』と続きます。確かにこれは型破りかもしれません。でもここには,物理と教育の新生を夢見る私たちの挑戦があるのです。何故こんなことをはじめたのか,話は20年近く前までさかのぼります。

 教育を巡る情況は当時も今も大変です。教科書を使った従来通りのやり方では,多くの学校で授業が成立しないのです。これは一種の懲罰かなと思わせる〈授業〉。そういうことのできない"軟弱教師"は,見事にスポイルされるか果てしないオシャベリの海に埋没します。「こりゃイカン! 生徒さんも教師も共に救われるキー・ストーンは?」−私たちは考えました。「それは授業だ! 内容を変えることだ。」そして物理で勝負したいと人並みの望みを持った私たちは,無謀にも2人でサークルを始めました。物理と教育の広大さを恐れぬのらねこが,筏に乗って航海に出たのです。

 例会にはみんな,何となくいそいそとやってきます。一人二人と集まって得体の知れないモノを並べ,物理談義が始まります。このゆるやかに流れる時間の濃密なこと。〈水を得た魚〉というか〈ご馳走にありついたのらねこ〉とでもいいましょうか。私たちは有頂天になって,真っ白い帆を一杯に張りました。のらねこ学会という愛称もそのひとつです。「ガリレオのリンチェイ(山猫)学会はずっと4人だったんだって。近代科学発祥の源泉だろう?」「ウン,Wild Cat(山猫)のように鋭く自然を見つめるってことらしい」「じゃ俺たちはノラネコってとこか。ゴミ箱を漁ってガラクタをかき集め・・・・」「でもいかなる権力にも媚びず自由に生きる,のらねこの逞しさとプライドもあるゾ」「つまり飼い猫とは違うってことだがね。我が学会はリンチェイ学会の正当な嫡子(あっ間違えた,不当な僭称)でサ,ハハハ」
 のぼりやTシャツも作りました。手作り教具を売り,お母さんたちと一緒に科学広場を創り,海外まで実験出前に行き,「将来は比較的下品なのぼりなんぞをおっ立てて,ドサ回り実験一座なんかやりたいね。」 これはまぁジョーク・遊び。しかし,私たちが得た最大の拾い物は,自然そのものです。ものと親しみ,仲間と議論をしているうちに,自然の面白さ,奥深さに魅せられていきます。こうなるともう止まりません。授業がどうの生徒がこうのという前に,私たち自身が最高の文化・遊びともいえる物理を楽しみ始めたのです。
 筏は順風を受け,航海の途中で面白い"魚"を釣り上げます。それらは教室や地域で,子どもや父母に還元されます。するとどうでしょう。物理どころか勉強すら屁とも思っていない連中やとうの昔に〈卒業〉した父母から,思わぬ歓迎の声が上がったりします。「ウァー,オモシロ! 感動して夜寝れへんかったワ」−これは,カッコ良く言えば,科学観の変革ということでしょうか。
 広大な物理と教育の海に漂う中で,私たちは知りました。ここには確かに魅力的な"魚"がいっぱいいること。わたしたちのような平凡な教師にだって釣ることができるということ。つまり挑戦に値するということをです。        (小川順二)


       広大な海原に  

       天空の風を満喫した帆かけ筏が一つ  

       真っ白い帆をなびかせて  

       我々は物理海の船人となる  

       航海は順風満帆といくのだろうか  





       
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